本朝画林序
夫生於百世之後対千古之英雄。不
費於一歩之労看万里之勝景者。皆
是丹青之用而。所以使人情従容遷
義志仁也。是以和漢豪士曽得美於
画筆者尤多矣。況如今於
本朝海内浴昇平之化。放牛于桃林之
野耕馬于華山之陽時運乎。都鄙好
弄毫徒星散雲簇。雖然 国初爾来
通其神者猶可数。因知斯道難益難
焉。近来書坊鳥飼氏梓高木某所摸
写之古筆若干。別為三巻名本朝画
林。彫工既成而。携之来需序予。予由
来暗丹青且疎文筆。何以得応之。徒
疾首退披之。則覚有寒熱之異愈疾
之神。是実不鳴世之筆力何到茲。
伝写之所以亦継往開来也。偏不達
於六法豈得能之乎。後之好士因之
学則殆得画家之正流歟。如吾人惟
知備霊容衣装者其為人。知有羽翼
四蹄者其為禽獣。知有草木水波者
其為山河而巳。丹青之為丹青深理。
非所得知矣。諺云盲人不惶蛇爬。故
莞爾揮禿筆以書之巻首
宝暦壬申冬十月下澣
 林僊亭董幹識



本朝画林序
それ百世の後に生れて千古の英雄に対し、一歩の労を費やさずして万里の勝景を看るは、皆これ丹青の用にして、人情をして従容として義に遷り仁に志ざさしむる所以なり。是をもって和漢の豪士かつて美を画筆に得る者もっとも多し。況や如今(いま)本朝海内昇平の化に浴して、牛を桃林の野に放ち、馬を華山の陽に耕さしむる時運においておや。都鄙好みて毫を弄するの徒、星の如くに散らけ雲の如くに簇る。然りといえども国初より爾来(このこた) 其の神に通ずる者は猶数へつべし。因って知る斯の道の難にして益々難きことを。近来書坊鳥飼氏高木某摸写する所の古筆若干を梓にして、別つて三巻と為し本朝画林と名づく。彫工既に成て、之を携さえ来りて予に序を需む。予由来丹青に暗く、且つ文筆に疎し。何すれぞ之に応することを得ん。徒に首を疾しめ退て之を披けば、すなわち寒熱の異、愈疾の神有ることを覚ふ。これ実に鳴世の筆力にずんば、何ぞ茲に到らん。之を伝写するもまた往に継ぎ来を開く所以なり。偏く六法に達せずんば豈に之を能くすることを得んや。後の好士、之に因りて学ひばすなわち殆んど画家の正流を得んか。吾人が如きは惟霊容衣装を備ふる者は其の人なることを知り、羽翼四蹄のは禽獣なることを知り、草木水波有るは其の山河なることを知るのみ。丹青の丹青なる深理は。得て知る所に非ず。諺に云く盲人蛇爬に惶れずと。故に莞爾として禿筆を揮てもって之を巻首に書す。
宝暦壬申冬十月下澣 林僊亭董幹識



継往開来:先人の事業を受け継ぎ、未来を切り開く。過去のものを継続し、それを発展させながら将来を開拓していくこと。