袁中朗(ゑんちうらう)いへることあり試(こゝろみ)に漢書(かんじよ)漢史(かんし)
を挙(あけ)て人に示(しめ)すに解(かい)すること能(あた)はさるに
論(ろん)なし即(すなはち)解(かい)するも亦多(をほ)く竟(とぐ)ること
あたはす聴者(きくもの)は頭(かしら)を垂(たれ)見者(みるもの)は歩(ほ)を却(しりぞ)く
通俗演義(つうぞくゑんぎ)の書(しよ)に至(いた)りては昏(ゆふべ)より旦(あした)に
徹(わた)れとも食(しよく)を忘(わす)れ寝(いぬる)をわすれ棒翫(ほうくわん)
して手(て)を釈(をく)ことあたはすと蓋(けたし)
本邦(ほんほう)の歴史(れきし)の如(ごと)きも亦(また)其言(そのことは)雅馴(がしゆん)に
して大抵(たいて)真名(まな)をもて記(しる)したれは庸人(ようじん)
愚婦(ぐふ)の容易(ようい)に解(かい)すへきにあらす故(ゆへ)に
ひたすら国字(こくじ)の読安(よみやす)きものに入て虚(そら)
説(こと)にあさむかるゝもの甚(はなはだ)少(すくな)からす耕書堂
主人是(これ)を愁(うれひ)てこの頃(この)武将略伝(ぶしやうりやくでん)を撰(ゑら)ふ
其書(そのしよ)言(こと)を彼国(かのくに)の演義(ゑんぎ)に採(と)り事(こと)は
国史(こくし)の正傳(しやうでん)を失(うしな)はす冀(こひなかはく)は総角(そうかく)の童子等(どうじら)
此書(このしよ)を以(もつ)て階梯(かいてい)ことなし広(ひろ)く古(いにしへ)を
尋(たつね)て馬牛(ばぎう)襟裾(きんきよ)の訾(そしり)を免(まぬが)れよといふ
 寛政庚戌正月
  伯楽橋南宿屋主人識